自分をガラリと変えたいなら、真っ先に下を向け

こんにちは、YOHAです。

 

昔の若かった頃の私は、いつも何かに焦っていて、
そして「このままではいけない」と何かに駆り立てられ、
でも行動力を出す勇気も出せず、自分がやりたいことも見つけられず…
とにかく、満たされない毎日を送っていたように思います。
たった数年前なのに、あの頃と今は全然別の生活をしています。

 

昔の生活は

・朝7時に起き、慌ただしく化粧とご飯を済ませ、バタバタと家を出る
・とにかく自分へのご褒美が多く、会社帰りにまっすぐ家に帰らず、買い物をする
・9時まで仕事をして、その流れで飲み会
・まっすぐ帰ってきても、ご飯を食べてすぐ寝る
・休みの日は「もったいないから」と無駄に外出し、散財
・そして、とにかく家の中が汚い

という、慌ただしい割に、満たされていない生活を送っていました。

 

打って変わって、今の生活は
・朝5時半に起床。ゆっくりと身だしなみを整える
・朝10分かけて、ささっと掃きそうじを済ませる
・犬の散歩に20分~30分出かける。帰ってきたら、玄関とトイレを掃除する。
・お弁当を作り、朝ごはんをゆっくりと済ませる
・食後に、コーヒーを味わう
・まっすぐ家に帰り、食事の支度をする
・家で楽しめる趣味がたくさんあるので、無駄に外出しない
・ボーッとする時間をもつ

 

だいぶ変わりましたね。
主に変わったのは、心の持ちような気がします。
いつも余裕があり、焦ることもなく、昔に比べて使うお金はだいぶ減った。
なのに、幸福度が増した気がします。

 

毎日はできなくても、週に1度は必ずやると心がけていることがあります。
それは、「足元を見つめ、靴を磨く」です。


1週間頑張って歩いてくれた靴を、磨きます。
「仕事ができる人は足元が綺麗」とか、
「仕事ができるようになるなら、とにかく靴を磨け」とか、
色々な自己啓発本で書いてあります。
私が靴を磨くようになったのは、そうではなくて、
ふと目に止まった「禅」の本を読んでから。

 

「脚下照顧」

自分の足元をよく見なさいということです。
この言葉に出会ってから、毎回、靴を必ず揃えて脱ぐようになりました。
脱ぐだけではなく、必ず靴を下駄箱にしまうようになりました。
あなたのおうちはここだよ。と、毎日靴を休ませてあげることにしました。
それによって、玄関に余白が生まれ、掃除がしやすくなりました。靴を下駄箱で休ませてあげるようになってから、靴に愛着が湧くようになりました。
とはいえ、私が履いている靴は、自分がこだわって買った靴ではありません。
しばらく使っていなかったランニングシューズを、会社の通勤用におろしたもので、
正直自分でも「なんでこんなデザインの靴買ったんだ…」
と昔の自分のセンスを疑うくらい奇抜な色をしています。
それでも、靴を休ませることによって、靴を労わる気持ちが湧いてくる。
そうすると、1週間頑張って土や埃を受け止めながら、
私を目的地まで運んでくれたこの子に愛おしさを感じるようになります。
そして、その靴をクリーナーで磨く。
1週間頑張ってくれた靴は、とても薄汚れてしまっています。
丁寧に磨くことで、白さを取り戻します。
心なしか、生き生きしているようにも見えます。
すると、不思議と「いつもありがとうね~もっと一緒にいようね~」という言葉が頭に浮かんできます。

「感謝」とか「ありがとう」の言葉とか、ひねくれた私は昔から嫌いでした。
「ありがとうと言うことで、人生が良くなる」みたいな本も何冊か読みました。
ですが、やはり損得を考えながら「ありがとう」と言っても、
どこかで言わされている感というか、本心じゃないので、自分に胡散臭さを感じていました。
ですが、最近の足元を見つめて、靴を磨く行為で、
自然と物に対して「ありがとう」という気持ちが湧いてくるようになったんです。
捻くれものの自分にしては、びっくりするほどの心境の変化です。
そして足元を見つめ、己の行為を振り返る。
迷いとか、どうしようとか、不安とか、そいういう気持ちではなくて、
不思議と前向きになれるんです。
これが、心に余白をもつということな気がします。

副産物かもしれませんが、昔に比べて、
明らかにちょっとした「運がいいな~」って思う機会も増えました。
これも、余裕があることで、昔気づかず素通りしてしまっていたものが、
気づけるようになったのかもしれません。

 

靴磨き。
掃除が嫌いな人にはめんどくさいかもしれません。
ですが、足元を見つめ、自分を見つめることで、心に余裕ができ、生活が整っていく。
今の生活の基盤を支えてくれる、教えのような気がします。

 

YOHA:)